過労死と日本の雇用2

前回の続きです。

日本の雇用システムの問題点についてもう少し掘り下げてみたいと思いますが、最初に断っておくと日本の雇用にも良い面があるということも一応理解しているつもりです。ただ、それはこれから述べる問題点とコインの表と裏のような関係になっているので、「良い点もあるから一概にダメとは言えない」といったどっちつかずの意見を書くつもりはありません。正確には「良かったときもあったかもしれない」という過去形の言い方になると考えています。少なくとも今は時代の要請からのズレが非常に大きくなっており、良かった部分が寧ろ問題を深刻化しているように見えるので、ここでは「何が問題なのか」にフォーカスします。

さて、ここでちょっとこのブログの10年以上前の記事(というかつぶやき)を振り返ってみたいと思います。

SE稼業の憂鬱
働き方がおかしい
仕事の悩み

今読んでも涙が出そうです。10年以上経った今でも当時の気分が鮮明に蘇って来ます。僕はこの短い文の最後に端的に素朴な疑問を表現しています。

「給料下がってもいいからワークシェアリングできないもんだろうか?」

この答えは「できない」あるいは「社会は許さん」です。社会全体としてそういうことができないシステムになっており、それは明確な理由のもと合理的にそうなっているのであって、決して「昔からの慣習」とか「文化的な性格」でなんとなくそうなっているのではないということを強調したいと思います。惰性でそうなっているのだったら、ちょっと意識することで変えられそうな感じがしますが、明確な理由の元で合理的にそうなっているのだから、どんなに個人の意識が変わっても簡単には変えられません。最近の日本に蔓延る「閉塞感」と呼ばれるものは単に景気が悪いといったことだけでなく、時代と共に個人の意識が変わりつつあるのにシステム(や法)が全くそれに追随してこないことも大きな要因だと思います。

・個人の役割と成果が不明瞭

個人の成果が「どれだけ組織のために頑張ったか」で評価される傾向が強いので自分の担当業務を早く終わらせるよりもチームのために身を粉にして何でもやった方が評価も上がるし残業代までもらえるので合理的です。自分も火事場プロジェクトの火消し役のような仕事をしていた頃は本当に「何でもやる」という状態だったのを思い出します。何が何でもとにかくこの火事を収束させる、ということが最も重要なミッションであり、個人の役割と成果が何であるかは重要ではないのです。

比較対象としてよくあげられるのが欧米型の明確なジョブデスクリプションに基く雇用契約です。これに対しては「日本人には合わない」とか「個人主義になってチームワークが乱れる」とかいった意見をよく見かけるのですが、そんなことは全くないと断言できます。ただ「和を乱す」といった言い方には一理あるかもしれません。これは会社は契約の元で労働の対価を受け取る場ではなくて生活と一体化した共同体・村であると捉えているということだと思います。村は運命共同体であり個別の契約ではなく共同体への帰属意識と支え合いこそが重要です。共同体は社会にとって必要不可欠な要素だと思いますが、それは社会の機能の一部に過ぎない営利企業が担うべき役割なのかどうか疑問です。

・正社員のコストが高い

正社員という呼称は法的には存在しないらしいですが、一般的に無期雇用であり、雇用保険や厚生年金、退職金や福利などの待遇を受けることができる社員ということになるかと思います。正社員一人を雇うには毎月の給料だけでなくこれらの費用も人件費として上乗せする必要があります。また、一度雇うと判例により余程の理由がない限り解雇できないため、正社員を雇うということは企業にとっても非常にリスクやハードルが高く慎重にならざるを得ません。そうなると結果的に正社員の雇用は最低限必要な分に絞り、非正規雇用を増やすことが合理的な選択になります。景気が良い時は非正規雇用を増やし、景気が悪いときは非正規雇用を解雇し正社員を限界ギリギリまで残業させてでも働かせる方が合理的です。ワークシェアリングしたくても一人あたりのトータルコストが高いので従業員は増やせません。正社員とは会社に忠誠を誓い何でもやってもわらなければ、その待遇に対してペイしないため、仕事を減らして給料を下げるといった「多様な選択肢」を与えることができないのです。

・Exitオプションがない

それでも、ひどい扱いを受ける会社は自分から辞めるという選択肢も残っていますが、これもほとんど希望が持てません。転職で待遇が改善するケースはそれほど多くはなく、上述したような理由で条件の良い正社員の求人を見つけることも非常に難しいため、賢明な人は情勢から総合的に判断して辞めることを躊躇します。村的な観点から見れば、高いコストをかけて教育して雇ってきた正社員に辞められるのは非常に大きな損失となります。正社員の待遇を蹴って辞めて行った人というのは「裏切り者」であり、「根性のない人間」であるとの評価を暗に与えることで、内部的には自己都合退職の抑止力になるので、社会的には転職に対する風当たりは強めになります。労働市場から優秀な人材を高待遇で確保するという発想ではなく、優秀な人材が簡単には辞められないようにという発想の元に社会全体が労働者を抑圧していると言って良いのではないでしょうか。

・セーフティネットがない

簡単に会社を辞められない理由の一つです。一応雇用保険もありますが、再就職のハードルがとても高いので、十分とは言い難いと思います。雇用保険がなくなると生活保護しかなくなりますがこれも非常に運用コストが高い上に属人的・主観的な判断に従って運用されているので社会的な風当たりが強く、たとえ自分では避けようのない理由でそうなったとしても、そこに頼ることは社会的落伍者の烙印を押されることになるので、合理的に考えれば会社を辞めてそのようなリスクは冒せないという判断になります。

・年功賃金と新卒採用

年齢が上がるに従って給与も上がっていくという年功賃金は上記に述べたこととも密接に絡んでいます。自分の給料を上げる最も確実な方法は会社に長く勤めることになるので、長く勤めれば勤めるほど辞めることのデメリットが大きくなります。歳をとると転職できなくなるのは転職先の会社でも社内の同年代と同じ給料を払うことが難しいためです。給与を下げて雇うということもできなくはないですが、人事制度との整合を取ったり現場での扱いが難しくなるため基本的に煙たがることになります。代わりに最も割の良い採用は新卒採用です。賃金がもっとも安くすぐには上昇しないので安心して使うことができ、中高年の高いコストを下支えもしてくれます。

こうやって新卒採用で安く雇った正社員を全員野球で最大限まで働かせることで年功賃金のコストを賄い、長く勤めれば賃金が上がるという希望と辞めれば待遇や社会的地位を失うという恐怖心の元に人材流出を抑止し、退路を立つことで必死に頑張る社員を再生産するのが日本型雇用システムの最大の特徴ではないでしょうか。

そしてそのシステムをなんとか維持するために必須なのが、このシステムの矛盾を一手に引き受ける非正規雇用ということになるかと思います。非正規雇用の問題は正社員の問題と表裏一体で不可分の関係なのでセットで考えないと解決できないと思います。

じゃあ何でこんなシステムをずっと続けているのか、これからどうなるのか、どうすればいいのか、とっても難しいですが次回考えてみたいと思います。

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