過労死と日本の雇用1

昨日、国会で過労死防止基本法が可決したとのニュースを見ていて、なんとも言えない溜息が出ました。

一筋の光が!  過労死防止法案:衆院で可決、成立へ…傍聴の遺族、喜び

いや、基本法が出来ることは悪いことではないし歓迎すべきことで、問題解決を目指す第一歩としてはいいのですが、現実との距離感というか、法案の背後に見える問題に対する認識の仕方というのが、これから問題が解決するに至るまでの道程の途方もない長さを感じさせるものだったのが、僕が脱力した理由です。

法案の内容について丁寧に説明したニュースなどが見当たらなかった(それもいかがなものかと思いますが)ため、詳細は分からないのですが、基本的な考え方は過労死問題に対する国や企業の責任を明確化することなどが中心になっているようです。それは良いことなのですが、問題はそれで過労死問題が解決に向かうだろうかということです。僕には限りなく遠い、難しいと感じました。特に遺族の方が法案の成立に涙したという事実と、この法案の効力に思いを馳せるとなんとも暗澹たる気分になります。

昨日見たTVのニュースでは実際に過労死したSEの20代男性の事例が紹介されていました。そこでは連続34時間労働みたいな労働実態があったことが紹介されていましたが、自分も一応SEの端くれなので、20代の頃ほとんど同じような働き方をしていたことを思い出しました。なので自分も当時は鬱や過労死に至っていても全然おかしくなかったと思います。実際に鬱で辞めてしまった人や同僚の自殺なども見てきました。

SEの人などは特に分かると思いますが、こういったニュースに触れた時にその伝えられ方や問題の捉え方として「強欲極悪ブラック企業の法律を無視した労働者酷使」という見方が滲み出ているのがとても気になるのです。もちろんそういう事例があることはあるんでしょうが、それらはどちらかというと少数派でそれよりもいわゆる優良企業と呼ばれるような普通の会社や上場企業でも普通にこのような働き方をしているのです。それが日常茶飯事で「普通のこと」なんです。とくにこの業界(ITゼネコンなど)ではその傾向が強くそっちの方が普通でそうでない会社の方が少ないかもしれません。

ほとんどの会社でそういったことが常態化するのは、ほとんどの会社が「ブラック企業」であり、強欲であり、人権を完全無視しているからなのでしょうか?そういった視点に立った場合にこの問題に対する基本的な対処法は「国や自治体による取り締まりを強化する」、「経営陣の人権意識を啓蒙する」といったものになりがちなのですが、それがまさに今回の法案に滲み出ていたと思います。しかし、”karoshi”という言葉が英語の辞書に載るくらい過労死は日本で特に顕著に見られる現象であり、海外ではあまり問題になっていないことを考えると、これはもっと日本社会全般の仕組の問題と考えるべきで、これを意識の問題や善悪の問題に単純化してしまうのは間違った対策の元になると思います。

規制を強化するのはダメだと言っているのではなく、根源的な原因を追求しそれを取り除く努力をせずにただ安易に規制を強化しても問題は全く解決しないということを言いたいのです。今回の法案にも報道のあり方にもそういった根源的な原因を追求して取り除こうという意思をほとんど感じられなかったのが問題なのです。表面上は解決を目指すポーズを取りながら本音では「仕方ないよね」みたいな意識があるからそうなるのではないでしょうか?それでは厳しい現実の中でなんとか活路を見出そうとしている企業にとっては益々板挟みになるだけです。

ではなぜ国やマスコミはそういった根源的な原因を追求しようとしないのでしょうか?会社というのは利益や社会への貢献を追求して活動するのは日本も海外も同じです。日本特有の問題があるからこうして日本だけで問題が解決しないのです。この問題は昔からあって、数多くの専門家が分析していて沢山の本も出ているのでもう言うまでもないと思いますが、誤解を恐れずにシンプルに言えば日本独特の雇用システムが全ての元凶だと思います。ただ、それを言ってしまうのは戦後の日本で作り上げた社会システムの全否定となり、それらの恩恵を受けている人達にとっては自分達の拠って立つ土台を揺るがすことだから、あまり議論したくないのではないでしょうか。だから国も報道も当たり障りのない言葉でお茶を濁しているのだと思います。

長くなりそうなのでこの辺りで切り上げますが、次回の投稿で日本の雇用の問題点をもう少し掘り下げてみたいと思います。雇用問題は過労死だけでなく様々な社会問題にも深く関わっているので、解決が非常に難しいと感じますが、そこから目を逸らすことは後世に多大な禍根を残すことになると思うのです。

コメント

  1. […] 前回の続きです。 […]

タイトルとURLをコピーしました