The future is already here

僕はSF好きということもあって、未来のことをあれこれ考えることが好きです。SF小説の世界では現在の延長線上からは予測困難な遠い遠い未来について描かれているものが 好みなんですが、それは時間軸が遠いことで現在の制約条件に縛られることなく限りなく自由度が高いからです。簡単に言えば「何でもあり」だからです。先の記事であげたSF小説「タイムシップ」などはまさにそのような世界を描いています。これは単純な空想欲求に基づいた個人的嗜好に過ぎません。一方で自分が老人になった頃に世の中はどうなっているのか、自分の子供が大人になった頃にはどうなってるんだろうか、といった比較的近い未来についての現実的な疑問も、最近は特に意識するようになりました。

20年以上前にSFが予見した未来は、一部ですでに現実化したり当時の予想を遥かに凌駕するなどしていますが的外れだったも予測も数多くありました。特に高度成長期に夢見た未来は楽観的すぎて現実とはかなりの落差があります。当時の人が突然今の世の中を見たら相当ガッカリするかもしれません。今でも車は4輪で排気ガスを出しながら地面を這いつくばってるし、お手伝いロボットもいないし、リニアモーターカーもいったい何十年やってんだかという有様。でも、あのころは情報技術がこれほどまで進化して世界中を覆い尽くして世界を変えてしまうとは全く想像していませんでした。ほとんど意識されていないような日々の小さな変化の積み重ねは最終的にはまったく想像もしていなかった未来に私達を連れて行きます。

僕たちにできることは今現在起こっている変化の意味するところを冷静に見極めてせいぜい10年程度先を予測しておくくらいが関の山ですが、それすら精度はかなり怪しいものです。とはいえ根拠薄弱な希望的観測に基づいた短期的な「期待」で経済を盛り上げようというアベノミクスのような出鱈目に翻弄されるよりは、数年、十数年先の現実を見極めて少しでも備えておくことが求められていると思います。

このブログでは未来について常に考え続けていきたいと思っています。空想科学の世界はとても楽しいですが、数年先の未来は近くにあるだけに想像の幅が狭く厳しい現実ばかりが目についてしまいます。それでも過去・現実から目を逸らす訳にはいきません。表題はSF作家のウィリアム・ギブスンの言葉ですが本質的な指摘だと思います。過去から学び未来を予測し行動を変えることは人間だけの特権であり責務です。それを止めることは人間であることの放棄に等しいと言ってもいいでしょう。

コメント

  1. かこグランマ より:

    私も、時々考えるよ…

    今の孫たちが我々ぐらいの年代になる頃、

    世界は、地球はどうなってるのだろう…とか。

    想像もつかないような世界になってるだろうか…とか、

    いや、いつか、地球は破滅に向かって進んでいく様な気もするし…

    そんな失望的な考えになっていくと、嫌になってくるので、

    それ以上不安を掻き立てる様なことは考えない様にしてるけどね…

    かっては生物が住んでいたであろうという他の星が、

    今では、もう死の星に化石になってしまったように、

    地球もいつかは寿命が来て、ほかの星と同じ化石になる日が

    来るであろうとか…

    太陽系の他にも、遠い遠い宇宙の中にも、生命が存在する天体があるのかもしれないとか…

    そんなこと考えてると、果てしなく空想の世界が広がっていくよ…

  2. haj より:

    >かこグランマさん

    地球や太陽や宇宙がいつかなくなることはわかってるけど、それはとてつもなく先の話で隕石の衝突なんかも運だのみ。そんなことは神のみぞ知ることだから深刻に考えてもしょうがないんだけど、せめて子どもの世代くらい先のことは考えておきたいです。小さい変化の只中ではあんまり気にならないんだけど、振り返ると大きい変化だったってことは良くある。昔の戦争なんかもある日突然そうなったんじゃなくて小さな変化の積み重ねの結果だからね。だから政治家にはもう少し長期的な未来を展望して欲しいんだけど、まあ無理な注文かねえ。

タイトルとURLをコピーしました