大手電機メーカーらの決算が軒並赤字となり、リストラなどの計画を発表しています。僕が昔勤めていた会社も1万人近い大規模なリストラを発表しました。これだけ一度に日本を代表する(していた)メーカーらが総崩れとなるのを見ると時代の潮目のようなものを感じざるを得ません。こういった事態が遅かれ早かれ訪れるであろうことは、結構昔から予想されていたので驚くことではないのかもしれません。今まではなんとか騙し騙しやって来て足腰が弱っていたところを震災と金融危機で騙せなくなってきた、といったところでしょう。
日本はなまじ経済規模が大きく、国民の資産などがある程度積まれているので、「まだ大丈夫、まだ何とかなる」で問題を先延ばしにできましたが、それがかえって危機に陥った時の被害を大きくする恐れがあります。お隣の韓国は過去の金融危機の時に様々な改革と方針転換を大胆に徹底的に行ったことが今の成長につながったと言われています。韓国が子供の頃に病弱だった人だとすると、日本は子供の頃から健康で体の事を心配などした事がない人だとする例えもあります。病弱な子は健康に気を使いながら都度病気を予防しながら大人になるので意外と健康になるけど、生まれつき健康だった子供は病気のことを意識しないため、生活習慣がおかしくなって大人になって大きな病気に掛かって戻れないくらい悪化する、というわけです。
生活に直結する自分の会社の業績ももちろん気になるのですが、それ以上に日本の抱える構造的な問題の解決が先送り先送りでほとんど前に進んでいない現状の方にとても危機感を感じます。仮に会社が潰れても、別に元気な会社がたくさんあるのなら転職してなんとか生きていけますが、どこに行っても仕事がない、税金は増えるばかりで、年金も返って来ないでは将来を展望することもできません。「将来は今よりきっと良くなる」という希望があれば、多少の困難や貧しさも乗り越えられると思いますが、「今よりもっと悪くなる」という予測が上回ってしまうと救いがありません。
本来は中長期的な展望と解決策を示して、皆に「よっしゃ頑張ろうか」と思わせるのが政治の役割だと思いますが、組織や利害関係で身動きが取れない政治家にはまったく期待出来そうにありません。政治にはあれこれ言いたいこもありますが、個人として言えることは少なくとも自分の所属する組織に人生の全てを捧げるような生き方は非常にハイリスクになりつつあるということ。会社であれ国であれ。会社や国に身を任せていれば幸せになれた時代はとっくに終わっています。遅かれ早かれやって来るであろう困難に備えて、薄く広くアンテナを張り、自立した個人としていろんな生き方の可能性を模索して置きたいと思う今日この頃です。
コメント
今日、香港の大学の先生がたの研究会「ビジネス・ジャパニーズ」の研究会に行ってきました。
今日はなかなかおもしろかった。
今までは日本の会社に就職する学生を育成することを前提とした言語プログラムを組んだり、そういう背景の日本文化をカリキュラムに入れたりしていたけど、というところ。
今日、話に出たのは、日本側、或いは日本企業側に、海外の優秀な人材を使いこなすビジョンを持つように促していくべきかという話。
つまり、香港でもせっかく日系企業に入っても、ガイコクジンが結局、蚊帳の外だという現実を知ると3年程度で、アメリカ系の会社の日本担当として転職してしまうことがあまりにも多いから。(香港で働く日本人女性にも多いけど)
香港に駐在員として来ても香港のことを何も知らず、東京ばかり見ている人が何と多いことか。
日本人向けに学習した(変化した)外国人に囲まれて自分自身が変化しない人たち。
ダマシダマシは続かないでしょう。
日本の企業が海外の優秀な人材を活用出来る様になるには今の社内の職能評価をベースにしている人事制度や新卒一括採用で社内色に染め上げる人材育成の考え方を根本的に見直さないと難しいのではないかと思います。でも、今の経営陣は皆この制度の中で、会社のドメスティックな能力を身に付けてのし上がってきた人達なわけで、自らのキャリアを全否定しかねない、また今まで社内で暗黙に共有されて来た「約束」を裏切る事になる制度改革にはあまり積極的にはなれないでしょうね。
結局、市場による淘汰で外から圧力を受ける事でしか変わっていかないのかもしれません。ブロガーが書いてましたが自ら「変わる」事より「見限る」事の方が容易に物事が進みやすいというのも、残念ながらある面で事実で、これからそういった動き「会社を見限る」「東京を見限る」「日本を見限る」が日本の中で増えて来るのではないかと思います。
[…] 今年の初めにも書きましたがこうなるであろうことは割りと前から予測されていたことで、今さら驚くことではないでしょうが、それだけにこの10数年の執行猶予の間に日本の産業がソ […]