人間の後の人間②

機械伯爵 レビュー

機械伯爵 先週の日記で「マン・アフター・マン」という絶版本を紹介したが、その中で「ハイテック」という機械化人間が出てくる。これはあくまでドゥーガル先生が科学的(?)妄想に基づいて生物学的に弱りきった人類末期の姿として想像されたもの。これは極端な風刺のようなものとして捉えれば失笑だけで済むのだが、世の中はかなりこれに近い方向に向かいつつあるのではないかと最近よく思う。

横浜に引っ越して間もない頃、横浜パシフィコで開催された世界初のロボット博覧会「RBODEX2000」を見に行って、HONDAの「ASIMO」の前身である「P3」の頼りなげだがスムースな二足歩行を見て、かなり驚かされたのを思い出す。人間によって作られた機械の塊りに過ぎないP3があたかも人間とそっくりな動きをすることで一気に親近感が沸き、ロボット時代が本当に目の前に来ているような感覚になったりもした。これを契機に次世代産業としてロボットをもてはやす雰囲気が生まれ、エンターテイメントロボットの販売や数々の研究プロジェクトを生み出すことにもなった。しかし、それらの盛り上がりも今では以前の落ち着きを取り戻しつつある。SONYもAIBOやQRIOなどの新規開発を中止し販売も順次停止していくという。どうもこの分野が現時点では期待する程の成長が見込めないことが分かってきたかららしい。いずれロボット時代が訪れるのは間違いないだろうがそれはまだまだ先の話なんだそうだ。

今、これらの分野の研究者から熱い視線を浴びているのはロボットではなく「サイボーグ」だという。サイボーグと聞いて僕ら若い世代が反射的に思い出すのは「サイボーグ009」や「人造人間キカイダー」だろう(あれ?若くない?)。009は石ノ森章太郎のSF漫画で、その時代背景を色濃く反映し、反戦、正義、人種差別などのテーマを扱っているが、サイボーグの哲学的意味をSFとして一般レベルに分かりやすく表現した作品とも言われてる。「人造人間キカイダー」は一見サイボーグっぽいが、あくまで「人造人間」であって実はサイボーグではなくアンドロイドだったりする。サイボーグの定義は広いが、敢えて簡単に表現すれば「身体機能の一部ないし大部分を機械に置き換えるなどして代行、補強した人間」の意味。サイボーグはSFのネタとしては随分使い古された感もあり、「あーサイボーグね」というくらいの陳腐さが漂うが、世の中の実態は既にそのSFに近づきつつあり、サイボーグ技術は基礎研究ではなく応用研究のレベルに到達しようとしている。

サイボーグの作る未来観を一般に広く知らしめた作品といえばアニメ「攻殻機動隊」が最近良く引き合いに出される。このアニメではネットや機械と人間の頭をプラグで直結して情報のやり取りや機械の操作を行うが、アメリカではプラグを頭に差し込んだ人が頭で考えただけでコンピュータのカーソルを操作したり、両腕に神経と繋がった義手を持つ、まさに「サイボーグ」が既に実在する。日本にも5本の指を自在に動かすことのできるロボットハンドをつけた人がいる。実際に見て思ったが、その映像の衝撃度は二足歩行のP3を遥かに上回るものがある。余談。「攻殻機動隊」の表現した独特の世界観が有名になったことで、監督の押井守がよくテレビとかに出てくるんだけど、な~んか違う気がする。インタビューすべきは90年代初頭に漫画でこの世界観を構築していた士郎正宗なんじゃないの?とか思ったりもするがあまりにオタク的なので追求しないことにする。

なぜサイボーグが注目を浴びるのかというと、ロボットよりも早く市場としての成長が見込めるかららしい。人間のパートナーとして完全に信頼し仕事を任せることのできるロボットを作るためには「人工知能」の開発が不可欠とされているがこの分野は様々なアプローチがなされている現在でも、まだ思うように目覚しい成果を上げることができていない。それに替わって今熱いのが脳神経科学で、こちらも脳そのものの研究はまだまだ発展途上にあるにせよ、神経の入出力インターフェースにあたる感覚や運動神経についての機能についてはかなりの成果を出しつつある。そこで工学の先端分野であるロボット技術と結びつけたのがサイボーグというわけだ。今は身体的なハンディキャップを持つ人の補助機能としての研究がメインだが実用化できれば普通の人が機械と一体化して作業を行うといったことが当たり前になる日が来るという。人工知能を持つロボットは莫大な投資の割には単純な作業の繰り返ししかできないが、人間と一体化した機械は機械の堅牢性、確実性と脳の柔軟性を併せ持ち、それこそ無限の可能性を秘めているとされている。将来は工場からロボットがいなくなり、サイボーグ労働者が主役になると予想する人すらいる。サイボーグ労働者は機械を自在に操る自分の脳そのものを売り込むことで高収入を得ることになる…。ん~いったいどんな時代なんだ。

でも、自分の毎日の生活を振り返ってみると実は半分は既にサイボーグ労働者なんじゃないかと思うこともある。出勤と当時にコンピュータの前に座り、退社までひたすらモニタとキーボードでコンピュータと会話し続ける。ソフトウエアの生産は全てコンピューターの中で行われており、僕らはコンピュータに様々な命令を送り続けることでものづくりをしている。この仕事をしているとエディタや端末、サーバは自分の体の一部にすら感じることもあるのだ。時々チョコレートなど甘いものがとても欲しくなることがあるのは、ストレスを緩和するGABAを摂取したいからというのもあるが、日頃から脳だけを極端に酷使しているからだ。今度から僕のことは「サイボーグ008」と呼んで欲しい。なぜ008かは長くなるので省略する。

最後にまた3桁の話題。「銀河鉄道999」といえば今や誰もが知っている松本零士の漫画。松本零士はちょっと武士道とかに心酔しているところがあって若干ついてけない部分もあるが、銀河鉄道999は大好きな作品で今も全巻押入れに隠し持っている。貧困のどん底にあった少年鉄郎は機械の体をタダもらえる星を目指して銀河鉄道で旅をするが、行く先々で永遠の命を得た機械化人間の醜悪な姿と悲哀を見ることになり、ついには機械化することを拒否する、という物語。人間が機械化するということの最終目標は鉄郎が最初に目指したように「永遠の命を得る」ということなのかもしれないが、それはもはや人間ではないのではなかろうか。別の何かでしかない。まさにマン・アフターマン。どんなに機械化したとしても人間はその限られた時間の中でしか輝けない存在なのだということを忘れずに明日もパソコンの前に向かいたい。

今回もドン引き必至。誰もコメントのしようのないマニアックネタでブログ化した意味がまったくないですが、好きなこと書くのが目的だし、書いてる本人は完全に自己満足しているので良しとします…。

コメント

  1. haj より:

    「甲殻」→「攻殻」の返還、いや変換ミスでした。訂正。

  2. peke より:

    008よ、降格機動隊はよくしらんが、キカイダーはハワイでも人気だ。

    しかしサイボーグ社会は気になるところだ。

    未来の社会がどうなるかで労働力も変わるんだろうね。今の社会の延長線上に社会がすすむのか、核戦争等のインパクトを経て一旦リセットしてしまうのか。それによって将来ぼくらの住む場所がネオ木更津なのか、第3新東京市なのか、インダストリアなのか、サルの惑星なのかが決まってくるわけで、また映画でも撮りたいですね。

  3. haj より:

    いつもコメントしづらい内容にコメントありがとう。降格機動隊ってなんか関わりたくないですね…。いくら機動的でも…。

    今の状態を続けていけば確実に資源枯渇や温暖化による食料難などで富めるものと貧しきものの生存を賭けた戦いになるんじゃないかと危惧。マン・アフター・マン的にはグリグラシュターン。後は野となれサルの惑星となれって感じでしょうな。サイボーグどころではないですね。

    映画は「応答惑星SOS」から数年経ってるのでマジでそろそろ撮りたいです。

  4. me より:

    おじゃまします。

    始めまして。meと申します。

    何で008なんでしょうか。そこが気になります(いや、いいんですけど)。

    つかぬことですが、サイボーグやロボットやクローン技術なんかで生まれる余剰エネルギーは、どこに吸収されるんでしょうか。

    少子化によって将来一人当たりの負担が増大するってよくグラフで示されたりしますけれど、その分を補って余りある科学技術の発展があるのでは。考えが安直ですか?

    子供を産みやすくするために出産費用を国で負担、とかってそれこそ安直なのでは??産まれればいいってもんじゃないような。

    というのも私(女性)は子供を産むつもりがないのですが、産まない女性が増えていることを批判的に書いている記事をみることがあるので。

    人口増加に貢献しない分、税金は多めに払っていいから、足りない分は科学技術でなんとかしてくれって思います。

    それとも少子化って労力だけの問題じゃないんですか。

    すみません私よく知らなくて。

    ここの方いっぱい知ってそうなので聞いてみました!

  5. NAGAFEE より:

    なぜ008に成り下がったのか、長くなっても書いてください。こんだけ長いブログを書いといて、いまさら何を言ってんのかね?

     

     10年前と比較すると、パソコン管理領域が拡大していて本来ならば便利になって書類がへるはずなのに、なぜか中途半端に書類とデ-タの二重管理が定着し、さらにISOとか余計な仕事が増えて、ぜんぜん楽にならない。

     運用面だけの問題だけではない気がする。まだ、ボクらは現場で人や自然を相手にできる部分があるからマシだけど、管理部門は・・。

     いずれにしても、このままでは近いうちに必ず渇く。バトルサイボ-グとしては。

  6. haj より:

    008です。meさん、はじめまして。コメントありがとうございます。

    複雑な問題が絡み合ってますよね…。

    僕は科学技術の発展そのものはいいことだと思いますが、それだけで問題が解決するという風にはあまり期待してないですね。

    NAGAFEEさんの指摘のとおりで技術はある作業をより便利により効率化してくれますが、会社はそれによって利益をつくり業務を拡大するわけですから、技術を扱う人の労力は結局減らせないわけです。減らせないどころか、さらに激しい競争に駆り立てられるというのが、拡大そのものを目的とする経済の悲しい性。技術は道具にすぎないんで、技術により生まれた余剰エネルギーをどこに傾けるのか、技術をどう使うのかという人間の意志や価値観なくしては何も変わらないだろうと思うわけです。

    今の日本が少子化になるのは経済的に豊かになったのに社会への男女共同参画がなかなか進まないことも一因じゃないかなとも思ってます。男女が社会との関わりを分担し、育児を分担し、育児や教育は社会全体で担うべき仕事だという雰囲気が少なすぎるのではないでしょうか。ヨーロッパでは経済が成熟した国は男女共同参画が進むことで出生率が回復しているらしいですよ。もちろん若者の減少分を女性で埋めて男女共に高ストレスにさらされるだけではあまり意味ないですが。

    そもそも少子化は悪いことかと言うと当然そうではないとも思います。このままどんどん増やしていっていったい何がしたいの?ってことだと思うんですが、突き詰めてもせいぜい「景気を拡大する」とか「年金を支える」とか「強い日本を世界にアピール」するとかそういうことくらいしか出てこないんじゃないでしょうか。命はそういう目的のために生産するものじゃなくて、「授かる」ものでしょ。なんというか、産めよ増やせよ拡大せよという「人間の意志」に対する暗黙の「自然の意思」のようなものなんじゃないかと思ったりもします。ましてや子供を産まない女性を批判するなどナンセンス。そんなこと言う前に考えることは山程あると思います。

    んー…結局何が言いたかったのかというと今みたいな拡大・成長だけを運命付けられた世の中の価値観ではいずれ破綻するんじゃないかということです。いつか方向転換せざるを得なくなるのではないかと思いますが、早く気付けるか、手遅れな頃に気付くかでも未来は随分違うと思うんです。早く頭の良い人達の頭脳をそっちに向けて欲しいなーなどと他力本願に思ってます。

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