本当は「過労死と日本の雇用」の続きを書く予定だったのですが、複雑で広範囲
なテーマゆえにとっ散らかってなかなか筆が進みません。なのでちょっと息抜きに映画のレビューでも書いてみます。
今年、日本で上映が始まった「トランセンデンス」と「her/世界でひとつの彼女」についてなんですが、両方ともAI(人工知能)に関する映画なのでAI好き?としては見ておかねばなるまい、という使命感に突き動かされ、ワールドカップには目もくれず、ちょっと前にビール片手に二大AI対決を観戦してきました。
なお、ネタばれに近いことも書いちゃうのでご注意ください。
まず、両作品を比較してどちらが面白かったか?から書くと、自分的には圧倒的に「her」でした。「トランセンデンス」もまあ面白いのですが、ちょっと期待が高かったからか、結果的にかなり期待外れの感を否めません。
トランセンデンスはいわゆる「シンギュラリティ(技術的特異点)」と呼ばれる未来予想に着目している訳ですが、科学的にも哲学的にもSF的にも考察が浅い印象でどうも焦点がボケている感じがしました。例えば、知能の「超越」をもたらすきっかけが「マインドアップローディング」であるという点もなんか意外性がなくて人間の延長みたいでつまらない。量子プロセッサを使ってなんとか動いているはずの知能がネットに接続したとたんにあっという間に外に泳ぎだしちゃうあたりもご都合主義感が。AIに治療された人間が完全に別物のロボットのように造り変えられているという設定も昔のSF映画のようで新鮮味がない。AIに対峙する人間もAIを擁護する人間もイマイチ共感しづらいし、得体の知れない技術への恐怖感だけが煽られて最後は謎を残したまま、無難な安堵を与えて終わらせた、みたいな感想です。難しいテーマなので仕方ないですが、ホットな話題に飛びついて見たものの意外とビジュアルは地味だしどこに持って行けばいいのか迷走して脚本がさじを投げちゃった感が随所に滲み出ていました。技術的な描写に真っ向から取り組んでしまったのがかえって陳腐な印象を醸し出してしまったとも言えます。
「her」の場合はそんなドツボにハマることなくとても冷静に技術を描いています。herの世界観では技術はあくまで技術であり日常の風景にすぎません。近未来ですから極力現在の延長に徹しており、わざとらしさがありません。現代の私たちも既に映画の中と近い生活を送っているので、こんな未来がもうすぐそこまで来てるんだな、ということを観ている全員に予感させます。そして秀逸なのがAIの描写です。ビジュアルな効果はほとんどなく「声」だけでその不思議さを表現しています。もはやそれはAIと呼べるような代物ではなく完全に人間と電話で話すのと変わらないわけです。スカーレット•ヨハンソンという紛れもない人間が声優をやってるのだから当たり前なんですが、「AI的なぎこちなさ、不自然さ」を敢えて演出に取り込まなかったことで、それが返ってステレオタイプなAI観を覆してくれて、本当の知能というのはなんなのか?ここまで情緒的な機械は果たして機械と呼べるのか、そこに意識はあるのかといった違和感や疑問が、長ったらしいセリフなどなくとも自然に沸き起こるようになっています。
「 her」で描いているのはまさに新しいタイプの知性との遭遇であり、そこに「愛」という人間にも説明できない感情を描いています。最終的にはAIというより愛を描いているというのは親父ギャグじゃなくて必然なんだと思います。なぜなら知性とは単に思考力や学習力、膨大な知識を意味するものではなく、自由意思をもった意識と意識の間にうまれる「愛」の中にこそ象徴される、と思うからです。僕が考えて知識を吸収すること
は僕以外の誰かが存在してはじめて意味をなすと直感的に思います。
近年の脳科学や量子論の進歩は脳や意識といったものが如何に不思議で未解明な存在かということを明らかにしています。人間の意識の集中が乱数発生器の不自然な偏りを生み出したり、人間の観測によって光子の過去の軌跡に影響が及ぶといった不思議な現象があることを考えると単に演算能力を増やしてニューロンの動きを模倣して適応学習するだけでは到達できない、知性や「愛」の謎がまだまだ隠されているんじゃない?とか思います。
世の中ではシンギュラリティがすぐそこまで来ているかのような話が語られていますが、意外とそう簡単には来ないような気がするのは根拠のない僕の直感です。
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