ビデオで「マイノリティ・リポート」を見た。フィリップ・K・ディック原作の作品だったので「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」原作の「ブレードランナー」的サイバーパンクな近未来を描いているかと思ったが、意外に未来の描き方が異なっていた。スピルバーグ的演出も多分にあるのだと思うが、破局的な世界というよりは現代のテクノロジーがそのまま発展した延長上の世界をイメージしているようだ。ITやロボット工学的なテクノロジーは進歩しているが、普通の家に住み、会社に通う人々の生活や社会のありかた自体の基本は何ら変わっていない。車が空を飛ぶというのは既存のSFによくある未来像だが、この映画では車はコンピュータ制御された移動カプセルにすぎない。網膜スキャンによりどこに誰がいるのかを常に監視されているというのは、一昔前のSFにありがちな「情報監視社会」的要素もあるが、全体国家のような暗い社会というイメージもない。むしろ、この映画はテクノロジーの進歩の中で、(いい意味でも悪い意味でも)変化しない人間の滑稽さを描いている部分が多いと思った。SF(Sience Fiction)というはそもそも科学の進歩が人間社会に及ぼす変化を描く場合が多いが、この作品の科学に対する冷めた視点には、いま現在のテクノロジーに対する冷めた視点もあると感じるのは深読みだろうか。
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